最上川河畔の開拓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/28 05:42 UTC 版)
至徳元年(1384年)忠義から8代後継信のとき長崎村(現・山形県東村山郡中山町長崎)に館を開き居住する(『中山玄蕃頭系図』)。当時沼尻郷(長崎村)周辺は最上川の川跡の広大な湿原地帯であり、この湿原干拓の中心地に館を築いた。継信の孫宗朝の代に干拓事業は完成したという(文安2年(1445年)頃)。寒河江氏の譜代の家臣であった長崎中山氏は、継信の祖父宗貞の妹が南北朝時代に活躍した大江元政の弟に嫁ぐなど、幾重にも縁戚関係になっている。
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