曹氏のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:19 UTC 版)
曹奐の以降も晋・南朝宋の二王の後として存続していた様子がある。子孫は魏の滅亡から200年以上、二王の後として陳留王を相続した。 曹奐の子の名は不明だが、326年に曹操の玄孫である曹勱が東晋によって陳留王に封じられ、358年に死去した。363年に曹勱の子の曹恢が跡を継いだが、378年に死去した。383年に曹恢の子の曹霊誕が跡を継いだ。408年に曹霊誕は死去した。420年、劉裕が東晋から禅譲を受け南朝宋となったが、劉裕に禅譲を勧める上奏に、曹霊誕の子の陳留王曹虔嗣が名を連ねている。曹虔嗣は同年死去した。曹虔嗣の弟の曹虔秀が跡を継いだ、462年に死去した。曹虔秀の子の曹銑が跡を継いだ。473年に曹銑は死去した。479年、蕭道成が南朝宋から禅譲を受け南朝斉となったが、蕭道成に禅譲を勧める上奏に、陳留王曹粲が名を連ねている。同年8月、曹粲は王位を除かれた。
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