昭聖王紀(即位紀)の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 06:26 UTC 版)
元聖王7年(791年)に父の金仁謙が死去し、宮中で養われるようになった。5年(789年)には唐に使者として派遣され、大阿飡の位を受けた。6年(790年)には波珍飡(4等官)となり、宰相(上大等か?)となった。7年(791年)に侍中となり、8年(792年)には兵部の令(長官)になった。11年(795年)に太子となり、14年12月29日(799年2月8日)に元聖王の死去すると新年を迎えて王位を継いだ。
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