春浦宗煕とは? わかりやすく解説

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春浦宗熙

読み方しゅんぽ そうき

室町中期臨済宗の僧。大徳寺四十世。播磨赤松生。春浦は道号、宗熙は法諱東山乾心に師事し、のち大徳寺養叟宗頤参じてその印可を受け、大徳寺住持となる。洛東の大蔭退居したが、応仁・文明の乱後は再び大徳寺住して同寺の復興尽力した文明13年伏見清泉寺を建て、翌14年大徳寺内に松源院を営む。明応5年(1496)寂、88才。正続大宗禅師の謚号を賜る

春浦宗熙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/14 08:07 UTC 版)

春浦宗熙(しゅんぽそうき、応永16年(1409年) - 明応5年(1496年1月14日)は、室町時代臨済宗大徳寺40世。別号に巣庵。諡号は正続大宗禅師。播磨国赤松郡出身。

6歳の時に京都建仁寺の乾心に師事、18歳で出家得度。24歳の時、大徳寺住持26世の養叟宗頤から印可を得て、寛正2年(1461年)大徳寺住持40世となり、天沢院に住した。 応仁の乱がはじまると摂津国の城福寺、和泉国陽春庵に避難したが、文明5年(1473年)に大徳寺再住の詔を受けて帰京、戦乱で壊滅した大徳寺の再興にあたった。明応元年(1942年)に開かれた大徳寺塔頭の松源庵の開山となり、墓所も同庵内にある。

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