星野鑑泰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/18 13:48 UTC 版)
重実には子がおらず、蒲池氏(蒲池鑑広とされる)の妻となった重実の娘の子である蒲池鑑泰(あきやす、のち鎮泰(しげやす))が母方の星野氏の名跡を継ぎ、重実の死後、大友方(「鑑」の字や「鎮」の字を大友義鑑や義鎮(宗麟)から賜っていることからも大友氏に従属していたと言える)として白石城、福丸城と転戦し、肥後国勝山にて討死した。鑑泰の嫡男の鎮虎(しげとら)は、白石城にて龍造寺氏を迎え撃つが守りきれず、豊後国に逃れた。鑑泰の次男の鎮胤(しげたね)は福丸城から星野高取城に移り、正実の子の高実(たかざね)の所領1000町を領す。鎮胤と弟の鎮元(しげもと)は、天正14年(1586年)8月に立花宗茂と戦い筑前国糟屋郡高鳥井城にて討死し、星野氏は滅びた。
※この「星野鑑泰」の解説は、「星野氏」の解説の一部です。
「星野鑑泰」を含む「星野氏」の記事については、「星野氏」の概要を参照ください。
- 星野鑑泰のページへのリンク