明治大学時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 07:06 UTC 版)
関西甲種商業学校卒業後の1948年に明治大学へ進学し、1年次の同年から多彩な変化球を武器に主戦投手として活躍。3学年上の杉下茂とのダブルエースとして名を馳せ、同年は春秋を通じてチームの全勝ち星を二人で分けあった。杉下が卒業した2年次の1949年からはエースとなり、同年には年間12勝を記録。4年次の1951年まで活躍を続け、東京六大学リーグ通算70試合登板・32勝21敗の成績を残す。通算32勝は六大学史上12位、明大に限れば後輩の秋山登(33勝)に次ぐ2位で、32勝中27勝が完封勝利、27勝中6勝は無四球勝利であった。
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