明導寺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 明導寺の意味・解説 

明導寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/19 23:25 UTC 版)

明導寺
明導寺本堂(右の建物)
所在地 熊本県球磨郡湯前町1955(城泉寺阿弥陀堂の所在地は湯前町瀬戸口)
位置 北緯32度16分38秒 東経130度58分56秒 / 北緯32.27722度 東経130.98222度 / 32.27722; 130.98222座標: 北緯32度16分38秒 東経130度58分56秒 / 北緯32.27722度 東経130.98222度 / 32.27722; 130.98222
宗派 浄土真宗本願寺派
創建年 1881年明治14年)
文化財 本堂、阿弥陀堂、
九重石塔、七重石塔、
木造阿弥陀如来及両脇侍像、
銅製鰐口
法人番号 9330005007800
テンプレートを表示

明導寺(みょうどうじ)は熊本県球磨郡湯前町にある浄土真宗本願寺派寺院

文化財

重要文化財(国指定)

城泉寺阿弥陀堂
鎌倉時代前期の寛喜元年(1229年)この地方を支配していた豪族久米三郎真家(浄心)によって建立された、茅葺寄棟造の仏堂。明治以降無住の廃寺となっていたが、現在は明導寺の飛地境内になっている。
1933年(昭和8年)1月23日指定[1]
城泉寺九重石塔
寛喜二年庚寅九月廿三日の刻銘あり。
1933年(昭和8年)1月23日指定[2]
城泉寺七重石塔
寛喜二年庚寅十一月日の刻銘あり。
1933年(昭和8年)1月23日指定[3]
木造阿弥陀如来及両脇侍像(城泉寺)
寛喜元年(1229年)

登録有形文化財

明導寺本堂
1926年(大正15年)に完成。木造洋風建築で当時の住職の長男藤岡眞月が設計したもの。
1998年(平成10年)9月25日登録[4]

その他

銅製鰐口(県指定文化財)
天授7年(1381年)
古塔碑群
鎌倉時代から江戸時代

周辺施設

脚注

  1. ^ 明導寺阿弥陀堂”. 文化遺産オンライン. 2018年11月12日閲覧。
  2. ^ 明導寺九重石塔(城泉寺九重石塔)”. 文化遺産オンライン. 2018年11月12日閲覧。
  3. ^ 明導寺七重石塔(城泉寺七重石塔)”. 文化遺産オンライン. 2018年11月12日閲覧。
  4. ^ 明導寺本堂”. 文化遺産オンライン. 2018年11月12日閲覧。

外部リンク



このページでは「ウィキペディア」から明導寺を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から明導寺を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から明導寺 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「明導寺」の関連用語

明導寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



明導寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの明導寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS