日本の十二音音楽の享受
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:26 UTC 版)
「十二音技法」の記事における「日本の十二音音楽の享受」の解説
日本における第一人者は入野義朗と言われる。その他、柴田南雄や戸田邦雄らも行ったが、芸大系よりも東大出身者が多く、日本では今も昔もごく少数派とされ、音楽史以外で日本の音楽大学等で実習を含めて詳しく教えられる事はあまりなく、松平頼暁が登場するまで結果的にセリエル音楽語法までをきちんと発展・享受できないまま廃れてしまった。しかし黛敏郎によると、橋本國彦は戦中、十二音技法の試作を密かに行っていた。また信時潔は弟子の諸井誠に膨大なシェーンベルクの楽譜を「風呂敷に包んで貸し与え、諸井はそれを持ち帰って勉強した」という。
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