日向輝武とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 日向輝武の意味・解説 

日向輝武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 23:50 UTC 版)

日向輝武

日向 輝武(ひなた てるたけ、1870年8月29日明治3年8月3日) - 1918年大正7年)5月28日[1][2]は、日本の実業家、政治家。

幼名は角太郎もしくは角次郎。群馬県西群馬郡井出村(現高崎市)の足袋屋の子として生まれ、東京専門学校で学ぶ[2]。1887年、藤岡の緑野教会で不破唯次郎より受洗された[3]

1888年に渡米、労役を経てパシフィック大学で政治、経済学を学び、ハワイの官約移民の後継会社を設立するため1893年に一時帰国して星亨の支援を仰ぎ、大陸移民会社を創立し日本人移民事業で成功し、1898年に帰国した[3][2][4]。移民の預金を扱う京浜銀行の常務、1901年日本広告(のち日本電報通信社に改称に伴い取締役に就任した。現電通)会長、草津鉱山社長、茂浦鉄道取締役、大陸殖民社長、日刊人民新聞(移民業界紙)社長など、星亨の息のかかった企業の重役を多数務めた[1][5][6]

1902年より衆議院議員(当選5回)となり、尾崎行雄らと同志研究会を組織、反政府運動に走ったが、のち政友会に入った[1]

大浦事件で収監され、獄中で精神錯乱となり、精神病院に移ったが、回復しないまま49歳で没した[7]

妻は舞踏家の林きむ子

出典

  1. ^ a b c 日向輝武(読み)ひなた てるたけコトバンク
  2. ^ a b c 日向輝武『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  3. ^ a b 5-1政友会の代議士・日向輝武との出会い前田蓮山物語、2012年10月31日
  4. ^ 日向輝武前田蓮山『星亨伝』1948年
  5. ^ 総選挙に立候補し当選する 前田蓮山『星亨伝』1948年
  6. ^ 新しい仕事前田蓮山物語
  7. ^ 9-15■大浦内相の議員買収事件前田蓮山物語、2014年6月10日



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  日向輝武のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日向輝武」の関連用語

日向輝武のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日向輝武のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日向輝武 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS