日下村 (神奈川県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 19:56 UTC 版)
ひのしたむら 日下村 | |
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廃止日 | 1927年4月1日 |
廃止理由 | 編入合併 屏風浦村、大岡川村、日下村 → 横浜市 |
現在の自治体 | 横浜市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 久良岐郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 3,912人 (国勢調査、1920年) |
隣接自治体 | 横浜市 久良岐郡金沢町、六浦荘村、屏風浦村、大岡川村 鎌倉郡永野村、本郷村 |
日下村役場 | |
所在地 | 神奈川県久良岐郡日下村笹下[1] |
座標 | 北緯35度24分02秒 東経139度35分28秒 / 北緯35.40067度 東経139.59122度座標: 北緯35度24分02秒 東経139度35分28秒 / 北緯35.40067度 東経139.59122度 |
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日下村(ひのしたむら. くさかむら[1])は、1889年(明治22年)4月1日から1927年(昭和2年)4月1日まで存在した神奈川県久良岐郡の村。古くからの住人は「くさかむら」と言うことが多い。
横浜市立日下小学校(ひした)にその名をとどめる。
概要
神奈川県久良岐郡中部に位置し、多摩丘陵南東端の大岡川沿いの村[1]。現在の神奈川県横浜市港南区南部、磯子区西部にあたる。
歴史
村名の由来
旧日野村の「日」と旧笹下村の「下」を合わせて「日下村」となった[1]。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、笹下村、日野村、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、峰村、氷取沢村が合併して成立[1]。
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 横浜市に編入。同日日下村廃止。
- 同年10月1日 - 横浜市の区制施行により、旧村域のうち笹下町と日野町は南区(後に分割され港南区)、その他の地区は磯子区になった。
人口
- 1891年(明治24年)- 戸数529、人口3,297[1]
- 1907年(明治40年)- 戸数560、人口3,788[1]
- 1920年(大正9年)- 戸数663、人口3,912[1]
- 1926年(昭和元年)- 戸数657、人口4,750[1]
交通
鉄道路線
根岸線の洋光台駅、港南台駅、横浜市営地下鉄ブルーラインの港南中央駅は、当時は未開業。
道路
- 鎌倉街道(現在の神奈川県道21号横浜鎌倉線)
現在の町名
横浜市磯子区
- 旧矢部野村、旧笹下村(一部)、日野村(一部) - 洋光台(一部。南区上大岡町も含む)
- 旧田中村 - 田中、洋光台(一部)
- 旧栗木村 - 栗木、洋光台(一部)
- 旧氷取沢村 - 氷取沢町
- 旧上中里村 - 上中里町
- 旧峰村(一部) - 峰町、洋光台(一部)
横浜市港南区
関連項目
脚注
- 日下村 (神奈川県)のページへのリンク