文博士
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 17:07 UTC 版)
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文 博士(ふみ の はかせ)は、飛鳥時代の人物。名は博勢とも記す。姓は忌寸。公務を帯びて2度、南島に使いした。
出自
書氏(文首、文連、文忌寸)は漢の高祖(劉邦)の後裔で応神朝に来朝した王仁の子孫である西文氏の宗家[1]。
経歴
持統天皇9年(695年)進広参・下訳語諸田と共に多禰(種子島)に派遣され、南方を探索する(当時の冠位は務広弐(正七位下相当))[2]。
文武天皇2年(698年)博士を含む8人が、南島に国を求めて派遣され、一行は武器を受領して赴いている[3]。翌文武天皇3年(699年)7月に南島の多褹(種子島)・夜久(屋久島)・菴味(奄美大島)・度感(徳之島)の人が朝廷の官人に従って来朝し、各土地の産物を貢いだ。特に、度感はこのとき始めて来朝した[4]。このときの一行に博士は同行していなかったらしく、同年11月になってから刑部真木と共に帰朝し、昇叙されている[5]。
脚注
参考文献
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