教綱の家督相続の時期について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 15:17 UTC 版)
「塩谷教綱」の記事における「教綱の家督相続の時期について」の解説
教綱が宇都宮持綱を殺害したのは、18歳(数え年。以降も同じ)の時であるが、この時、父の秋綱は34歳、祖父の光綱も53歳で健在であり、殺害の当事者は教綱であった事は間違いないが、家督を継いでいたものとは考え難く、主謀は、父の秋綱、あるいは祖父の光綱であったと考えられている。家督を継いだ時期については、少なくとも祖父の光綱が没する文安5年(1448年)3月28日以降、秋綱が没する享徳2年(1453年)4月11日以前の事だと考えられているが、具体的には特定出来ない。
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