敗者復活制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:56 UTC 版)
「全国高等学校野球選手権大会に関するエピソード」の記事における「敗者復活制度」の解説
大会初期の頃、敗者復活制度が実施された。これは第2・3回大会の2回だけ行われたもので、1916年(第2回大会)の場合、全国大会に参加は12校。1回戦の試合数が6試合。2回戦が3試合となると、次のステップに進めるのは3校と端数が生じてしまうということで、1回戦で敗れた6チームのうち抽選で2校を敗者復活として出場させた。対象校は中学明善(福岡)と鳥取中(鳥取)であった。敗者復活校同士の試合は鳥取中が勝利したが、鳥取中は次の試合で敗北している。 1917年(第3回大会)も12校で開かれたが、この時は抽選による敗者復活が4校となった。対象校は愛知一中(愛知)、明星商(大阪)、長崎中(長崎)、和歌山中(和歌山)であった。4校による敗者復活戦をして、その勝者2校が2回戦で対戦し、その勝者が準決勝に進んだ。ところが、この敗者復活戦を勝ち抜いた愛知一中は決勝まで進み、そのまま優勝した。このことから敗者復活制度を行うことに疑問が感じられたため、この第3回を最後に廃止された。
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