政誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 15:24 UTC 版)
子楚が安国君の太子になったのと前後して、子楚は呂不韋が連れてきた趙の豪族の娘(趙姫)を気に入った。それが政(始皇帝)の母である。だが、その女は呂不韋とも関係を持っていて、呂不韋に対して子を身ごもったと伝えていた。そのため、政の実父が呂不韋であるという説が今でも残っている。そして、昭襄王48年12月(紀元前259年2月)に政が誕生した。 昭襄王49年(紀元前258年)、秦が趙を攻め邯鄲を包囲。趙では子楚殺害を決定したために、呂不韋は子楚を秦へ逃がすために趙の役人に大金をつぎ込み買収して秦へ逃亡させ、政親子は趙の豪族にかくまうようにさせ、無事を計った。 昭襄王56年(紀元前251年)、昭襄王が死去し、安国君が孝文王となり、子楚が太子となった。
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