摂家以外からの摂政・関白就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 22:01 UTC 版)
「摂家」の記事における「摂家以外からの摂政・関白就任」の解説
五摂家成立以後は、摂政・関白にはこの5家の者のみが任じられ、摂家たる5家は摂政・関白職を独占した。そのため、関白就任を目論んだ羽柴秀吉(豊臣秀吉。当時は平朝臣を称していた)は、1585年(天正13年)に近衛前久の猶子となり、藤原朝臣秀吉(近衛秀吉)として関白就任を果たした。 翌年、秀吉は豊臣に改姓し、豊臣朝臣秀吉として関白に残留した。秀吉は豊臣氏を新たな摂関家とし、豊臣秀吉の養子である豊臣秀次は「豊臣朝臣秀次」として関白に任じられている。しかし秀次以降は再び五摂家が摂関の座を独占するようになった。
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