拾九町村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/28 05:47 UTC 版)
拾九町村という地名は江戸時代より見え、薩摩国揖宿郡指宿郷(外城)のうちであった。村高(石高)は「天保郷帳」では7,952石余、寛文4年の「郡村高辻帳」では7,952石余であったと記載されている。 宮ヶ浜には指宿郷の地頭仮屋が置かれ、地頭仮屋を中心に狩集、中福良、大園原をはじめとする郷士集落が形成された。 当時の拾九町村の区域は現在の指宿市東方、西方及び新西方にあたる。
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