戎、狄、胡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:52 UTC 版)
中国の春秋戦国時代、北方の草原地帯のみならず、中国本土にも戎や狄(あるいは翟)といった異民族が入りこんで点在していた。後代、専ら北の異民族を狄(北狄)、西の異民族を戎(西戎)と呼んだが、この時代においては両族とも北西問わず入り乱れて生活しており、多くの部族に分かれていた。戎は北戎・西戎に大別され、北戎では上記の山戎が有名であり、西戎では西周を滅ぼした犬戎が有名である。狄は周の王室と結びつき、その王位継承問題に介入した。紀元前635年に晋によって討伐されると赤狄・白狄に分かれた。胡は後の匈奴の代名詞となり、イラン系のソグド人をも指す用語となるが、春秋時代のオルドス地方には林胡という部族がおり、燕の北には東胡という部族がいた。いずれの種族もその多くは戦国時代の秦や趙といった強国に併合され、中国人と同化していった。
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