慈眼寺 (足立区千住)とは? わかりやすく解説

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慈眼寺 (足立区千住)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 08:05 UTC 版)

慈眼寺
所在地 日本 東京都足立区千住1-2-9
位置 北緯35度44分49.6秒 東経139度47分57.8秒 / 北緯35.747111度 東経139.799389度 / 35.747111; 139.799389 (慈眼寺 (足立区千住))座標: 北緯35度44分49.6秒 東経139度47分57.8秒 / 北緯35.747111度 東経139.799389度 / 35.747111; 139.799389 (慈眼寺 (足立区千住))
山号 千龍山[1]
院号 妙智院[1]
宗派 新義真言宗[1]
本尊 観音菩薩
創建年 正和3年(1314年
開山 行覚
札所等 荒川辺八十八ヶ所霊場44番札所、荒綾八十八ヶ所霊場57番札所
法人番号 8011805000135
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慈眼寺(じげんじ)は、日本東京都足立区にある新義真言宗寺院

概要

1314年正和3年)、行覚によって開山された。江戸幕府3代将軍徳川家光より、空海作の観音菩薩像を賜り、寺紋に「立ち葵」を用いることが認められた。当寺の本尊となっていた、この観音菩薩像は東京大空襲で焼失してしまった。現在の本尊の観音菩薩像は、戦後に新たに製作されたものである[2]

境内

  • 薬師堂
中に薬師如来が祀られている。戦前までこの薬師の縁日は大盛況で、森鷗外の妹の小金井喜美子は『鴎外の思ひ出』の中で、その賑わいを描写している[2]
  • 山門
この寺で戦災から免れた唯一の建物である[2]
  • 豊川稲荷社

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 千住町二町目.
  2. ^ a b c 足立史談会 編『足立区史跡散歩 (東京史跡ガイド21)』学生社、1992年、48-49p

参考文献

  • 足立史談会 編『足立区史跡散歩 (東京史跡ガイド21)』学生社、1992年
  • 「千住町二町目 慈眼寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ136足立郡ノ2、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763997/29 

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