愛宕塚古墳 (播磨町)とは? わかりやすく解説

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愛宕塚古墳 (播磨町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/23 03:02 UTC 版)

愛宕塚古墳

墳丘
所在地 兵庫県加古郡播磨町野添北2丁目1
位置 北緯34度43分10.20秒 東経134度52分57.20秒 / 北緯34.7195000度 東経134.8825556度 / 34.7195000; 134.8825556座標: 北緯34度43分10.20秒 東経134度52分57.20秒 / 北緯34.7195000度 東経134.8825556度 / 34.7195000; 134.8825556
形状 円墳
規模 直径21m
高さ2m
埋葬施設 不明
出土品 埴輪・ミニチュア土器
陪塚 2基(非現存)
築造時期 4世紀末-5世紀初頭
史跡 兵庫県指定史跡「愛宕塚古墳」
地図
愛宕塚古墳
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愛宕塚古墳(あたごづかこふん)は、兵庫県加古郡播磨町野添北にある古墳。形状は円墳。兵庫県指定史跡に指定されている。

概要

兵庫県南部、印南野台地の最南端に築造された、播磨町に残る唯一の古墳である。近世期から墳丘上に愛宕権現が祀られるほか、1980年昭和55年)以降に発掘調査が実施されている[1]

墳形は円形で、直径約21メートル・高さ約2メートル[2](または直径約22メートル・高さ約2.2メートル[3])を測る。墳丘外表では円筒埴輪(壺形・朝顔形埴輪含む)のほか、ミニチュア土器が検出されている[1]。墳丘周囲には周濠が巡らされており、幅約4-5メートルを測る[2]。埋葬施設は未調査のため明らかでなく、副葬品も詳らかでない。また付近では陪塚と見られる小古墳2基が存在したが、現在では失われている[3][1]。築造時期は古墳時代中期の4世紀末葉-5世紀初頭頃と推定される[2]

古墳域は1982年(昭和57年)に兵庫県指定史跡に指定されている[4]

文化財

兵庫県指定文化財

  • 史跡
    • 愛宕塚古墳 - 1982年(昭和57年)3月26日指定[4]

関連施設

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 県指定文化財 愛宕塚古墳(播磨町ホームページ)。
  2. ^ a b c 播磨町郷土資料館 展示解説。
  3. ^ a b 史跡説明板。
  4. ^ a b 県指定文化財一覧 (PDF) (兵庫県立教育研修所)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『愛宕塚古墳ほか町内遺跡詳細分布調査報告書(播磨町文化財調査 第2集)』播磨町教育委員会、1981年。 

関連項目

外部リンク




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