愛宕塚古墳 (壬生町)とは? わかりやすく解説

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愛宕塚古墳 (壬生町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/06 07:53 UTC 版)

愛宕塚古墳

墳丘
(左に前方部(愛宕神社)、右奥に後円部)
別名 壬生愛宕塚古墳
所属 しもつけ古墳群(壬生地域)
所在地 栃木県下都賀郡壬生町壬生甲
位置 北緯36度25分57.7秒 東経139度48分35.9秒 / 北緯36.432694度 東経139.809972度 / 36.432694; 139.809972座標: 北緯36度25分57.7秒 東経139度48分35.9秒 / 北緯36.432694度 東経139.809972度 / 36.432694; 139.809972
形状 前方後円墳
規模 墳丘長65m
高さ6.5m(前方部)
埋葬施設 不明
出土品 埴輪
築造時期 6世紀中頃
史跡 国の史跡「愛宕塚古墳」
地図
愛宕塚古墳
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しもつけ古墳群(壬生地域)分布図

愛宕塚古墳(あたごづかこふん、壬生愛宕塚古墳)は、栃木県下都賀郡壬生町壬生甲にある古墳。形状は前方後円墳。しもつけ古墳群(うち壬生地域)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。

概要

黒川左岸段丘端部にほぼ西面して所在し、すぐ東側を栃木街道が通る。周辺には牛塚古墳車塚古墳(いずれも国の史跡)が所在する。

2段築成の墳丘は墳長65m、後円部高さ5.5m、前方部高さ6.5mを測り、墳丘1段目を幅広く造る栃木県中央部の大型古墳特有の特徴が本古墳にもみられる[1]。墳丘の周囲は幅約20mの周堀と周堤がめぐり、周堀外側までの全長は100m近くになる[2]

発掘調査が行われていないため内部構造は不明であるが、墳丘から埴輪が採取されている。築造時期は、埴輪や墳丘形態から6世紀中頃に位置付けられている[2]

前方部頂の愛宕神社は、1694年元禄7年)に壬生城主の松平輝貞が壬生城の鬼門除けとして建立したと伝えられている[1]

思川姿川間に南北に延びる壬生台地には後期以降の栃木県を代表する諸古墳が散在し、この地域が古墳時代後期から律令期にかけて本地域の一大勢力を担っていたことが理解される[2]

文化財

国の史跡

  • 愛宕塚古墳 - 1926年(大正15年)2月24日指定[3]

脚注

  1. ^ a b 現地説明版
  2. ^ a b c 大塚初重小林三郎・熊野正也編『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年、23-24頁。
  3. ^ 愛宕塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 壬生町立歴史民俗資料館 編『国指定史跡 愛宕塚古墳 -測量調査及び表採資料報告書-(壬生町埋蔵文化財調査報告書 第20集)』壬生町教育委員会、2005年。 
  • 『栃木県壬生町 壬生愛宕塚古墳 -保存活用計画書作成に伴う学術発掘調査-(壬生町埋蔵文化財調査報告書 第36集)』壬生町教育委員会、2023年。 

外部リンク




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