恵運院 (甲府市)とは? わかりやすく解説

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恵運院 (甲府市)

(恵運院 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/25 00:24 UTC 版)

恵運院

山門 (2022年4月10日撮影)
所在地 山梨県甲府市塚原町828
位置 北緯35度41分45.2秒 東経138度34分26.7秒 / 北緯35.695889度 東経138.574083度 / 35.695889; 138.574083座標: 北緯35度41分45.2秒 東経138度34分26.7秒 / 北緯35.695889度 東経138.574083度 / 35.695889; 138.574083
山号 長松山
院号 恵運院
宗派 曹洞宗
創建年 不詳
中興年 戦国時代中期
中興 武田信縄
文化財 絹本著色雪田和尚画像(山梨県指定有形文化財)、恵運院文書(甲府市指定文化財)
恵運院
恵運院 (山梨県)
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恵運院(えうんいん)は、山梨県甲府市にある曹洞宗寺院

歴史

創建年代は不明である。当初は真言宗の寺院であったが、戦国時代中期に甲斐国戦国大名武田信縄によって中興され、自分の菩提寺とした[1][2]

信縄の子の信虎は、現在の長野県東御市にある定津院から雪田宗岳を招聘して住職にし、寺領を寄進している。当院には武田信廉(信虎の子、信玄の弟)による雪田宗岳の肖像画が残されている[2]

江戸時代の観光名所として知られていた。そのうちの一つは信玄お手植えの梅とされている[2][1]

境内には、信縄の墓がある[1]

文化財

  • 絹本著色雪田和尚画像(山梨県指定有形文化財 昭和42年8月7日指定)[3]
  • 恵運院文書(甲府市指定文化財 昭和60年5月14日指定)[4]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 恵運院(えうんいん)やまなし観光推進機構「富士の国やまなし観光ネット」
  2. ^ a b c 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年、125-126p
  3. ^ 山梨の文化財ガイド(データベース)絵画02山梨県
  4. ^ 27甲府市内の文化財一覧甲府市

参考文献

  • 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年



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