徳田敦子とは? わかりやすく解説

徳田敦子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/31 03:56 UTC 版)

徳田 敦子(とくだ あつこ、1955年昭和30年〉9月15日 - )は、大阪府出身のバドミントン選手。本名:津谷 敦子[1][2]

経歴

四條畷学園中学校・高等学校卒業、四條畷学園短期大学卒業。卒業後はサントリーに入社し、全日本総合バドミントン選手権大会1978年に女子シングルス優勝、女子ダブルスで1977年1978年に高田幹子と、米倉よし子1979年から1984年1986年1987年に合計10度優勝。1981年には東宮御所に招待され、当時の皇太子明仁夫妻と歓談している[2]

1992年8月25日桜田淳子(女優)、山崎浩子(新体操選手)などが参加した統一教会合同結婚式に参加した。

1994年5月、統一教会入信と、合同結婚式前後の胸のうちを明かした著書『やっぱりこの人が一番』を統一教会系出版社の光言社から発刊した[3][4][2][5]。結婚後は夫の津谷姓に改姓したことを著書などで公表している[1][2]

脚注

  1. ^ a b 徳田 敦子 Webcat Plus
  2. ^ a b c d 徳田敦子著『やっぱりこの人が一番』(光言社、1994年5月)ISBN 4876560374
  3. ^ 会社案内”. 光言社. 2022年10月28日閲覧。
  4. ^ やっぱりこの人が一番 | 徳田 敦子 Amazon.co.jp
  5. ^ やっぱりこの人が一番 Webcat Plus




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