貝姫とは? わかりやすく解説

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貝姫

(得生院 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/10 09:45 UTC 版)

貝姫(かいひめ、寛永元年(1624年) - 寛永19年2月15日1642年3月15日))は、仙台藩第2代藩主伊達忠宗側室

生涯

通説では櫛笥隆致の娘とされている[1]

寛永16年(1639年)、仙台藩伊達家では京都留守主居佐藤市兵衛に命じ、忠宗の側室を選定させた。市兵衛は京都の商人象牙屋茂兵衛に周旋させたところ、素性を秘して貝姫を紹介し、同年6月3日茂兵衛の証文で仙台に下ったという。寛永17年(1640年8月8日、巳之助丸(のちの伊達綱宗)を仙台城二の丸で産む。

寛永19年(1642年)2月15日歿す。享年19[2]得生院と法諡し、仙台市の善導寺に葬られた。

死去に際し自分の素性を侍婢に告げていたため、櫛笥隆致の娘であったことが判明したという。

姉の櫛笥隆子は宮中に入って後水尾天皇の側室となり、9人の子をもうけた。そのうちの一人の花町宮良仁親王は、111代の後西天皇となった。

参考文献

  • 平重道「仙台藩の歴史」 1970年、宝文堂

脚注

  1. ^ 平川新は『伊達騒動の真相』で、伊達家系譜と櫛笥家系譜との差異、綱宗と伯母にあたる隆子(逢春門院)や後西天皇との音信の時期、そのほとんどが進物の礼状など形式的なものばかりであることなどから、貝姫は櫛笥家の実子ではなく養女である可能性が高いと述べている。
  2. ^ 貝姫の享年について、善導寺の記録には19歳となっているが、父の櫛笥隆致は慶長18年(1613年)に亡くなっている。そのころ貝姫が生誕したとすれば、寛永19年(1642年)には30歳となり、30歳以上で歿したことになる。いずれかの記録に誤りがあるとしている。



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