彦七以降の大森氏と滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 03:34 UTC 版)
砥部大森氏は、南北朝の動乱を生き抜き、その後文明12年(1480年)大森直治の代まで続くが、12月29日、河野氏の命を受けた荏原の平岡通則に夜討を仕掛けられて滅亡。その後、白潟、田中両氏に分かれ、河野氏の下に入ることになる。主として白潟(城方?)氏が河野氏との関係維持に働き、田中氏が領地の経営にあたっていたらしい。
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