張満谷家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 16:30 UTC 版)
養父善三もまた養子だった。善三は、明治32年(1899年)東京に生まれ、母とよの次妹ことの嫁ぎ先張満谷家の養子となった。善三は、金貸しの未亡人かねの次女愛子と結婚、かねの長女ぬいの次男、つまり甥の昭如を養子とした。 なお、作家三島由紀夫(平岡公威)の5代前の太左衛門まで平岡家は印南郡神吉村に住んでいた。その南4km弱の地点が善三の養父の生家だった。善三は石油製品を扱った貿易商だった。張満谷家は昭如が野坂家へ戻ったことによって断絶した。
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