弓削広方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 03:45 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動弓削 広方(ゆげ の ひろかた)は、奈良時代の貴族。氏姓は弓削連のち弓削宿禰、弓削御浄朝臣。大納言・弓削浄人の子。官位は正五位下・右兵衛佐。
経歴
父の弓削浄人が天平宝字8年(764年)7月に弓削連姓から弓削宿禰姓に、さらに9月に弓削御浄朝臣に改めており、広方も同時に改姓したと想定される。
天平神護3年(767年)従五位下・武蔵員外介に叙任される。のち、近衛将監・右兵衛佐といった武官を務め、神護景雲3年(769年)10月の称徳天皇の由義宮行幸に従い、正五位下に叙せられるなど、叔父・道鏡の権勢下において順調に昇進を果たす。
しかし、神護景雲4年(770年)8月に称徳天皇が崩御すると、道鏡と浄人の兄弟は失脚。浄人と弟の広田・広津と共に弓削姓(無姓)に戻された上、土佐国への流罪となった。天応元年(781年)桓武天皇の即位後に赦免され、本国である河内国若江郡に戻されたが、再び平城京に入京することは許されなかった。
官歴
『続日本紀』による。
- 天平宝字8年(764年) 7月6日:連姓から宿禰姓に改姓。9月11日:弓削宿禰姓から弓削御浄朝臣姓に改姓。
- 時期不詳:正六位上
- 天平神護3年(767年) 正月18日:従五位下。8月29日:武蔵員外介
- 時期不詳:近衛将監
- 神護景雲2年(768年) 4月12日:武蔵介
- 神護景雲3年(769年) 6月9日:右兵衛佐、武蔵介如故。日付不詳:従五位上。10月30日:正五位下
- 神護景雲4年(770年) 8月22日:流罪(土佐国)
- 天応元年(781年) 6月18日:本郷に放還
出典
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