広島へ赴任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 07:04 UTC 版)
千田は前任地の大分県から海路汽船により広島へ県令として赴任した。その際、太田川が運ぶ土砂により遠浅の干潟が続く広島へは、沖合いの宇品島(現在の元宇品)で乗客用の和船に乗り換えたり、貨物は艀(はしけ)に乗せ変えたりしなければならず、また乗り換えても遠浅の海が潮が満ちるのを待たねばならないことを目の当たりにした。着任早々市内を巡視した千田は、インフラが藩政時代のままのため方々で物資が渋滞し、それが原因で経済活動が停滞していることに驚いた。そこで港の整備とそこへ続く道路の整備が必要と考え、宇品築港を決意した。
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