市川左升
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市川 左升(いちかわ さしょう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は髙島屋。
- 初代 市川左升
- (出自生没年:調査中)
- (襲名歴:調査中)
- 二代目 市川左升
- 初代市川左團次の門人、1872 - 1943。
- 市川左喜松 → 二代目市川左升
生年月日明治5年 11月5日 出生地愛知県 岡崎 経歴明治16年初代市川左團次の門人となり、左喜松を名乗り名古屋で初舞台を踏む。37年8月師の左團次が没す。39年9月、東京明治座の師左團次3回忌追善「世響太鼓功」に市川左升と改め、弥源次と仁惣太の2役で名題に昇進。左團次一座の重鎮として「夜の宿」(どん底)のルカ役など翻訳劇、新作劇にも活躍した。没年月日昭和18年 1月6日 (1943年)
大正15(1926)年01月02日〜 平成23(2011)年02月13日、本名中村清春、長野県出身。三代目市川左團次の自宅に押し掛けて弟子入りを懇願。許されて以来、当代左團次、その息子の市川男女蔵、孫の市川男寅と、高島屋四代に渡って忠実に仕えた師匠番であり、乳母役。風姿は、ほっそりとして、愛嬌のある小さめな顔立ち。『助六』では揚巻付番頭新造巻絹や傾城八重衣、『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』でお幸、あるいは晩年にも夜鷹なども演じた。
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- 受賞歴
▼平成9年(1997年):第十六回眞山青果賞助演賞、菊五郎劇団賞、村上元三賞
▼平成18年(2006年):第十二回日本俳優協会賞功労賞
女形として菊五郎劇団で味のある演技を見せる貴重な存在。大病を患いしばらく舞台を離れていたが、ようやく復帰もかない、今後の益々の活躍を期待しての受賞。
- 四代目 市川左升
- 四代目市川左團次の門人、1963-
- 市川左十次郎→四代目市川左升
- 平成26年1月、新橋演舞場にて四代目市川左升を襲名披露し、名題昇進。
- 立役。長身で押し出しがよく、細面で鼻が高い。切れ長の目で色悪や敵役が似合う。菊五郎劇団の立廻りでも目立つ存在だった。御園座の『毛抜』で敵役の八剣玄蕃の一子数馬に抜擢され、堂々と演じたこともある。待望の名題昇進を果たし、これからがさらに期待される。
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- 芸歴
▼昭和38年生まれ。昭和63年国立劇場第九期歌舞伎俳優研修修了。4月歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』の大名ほかで鈴木俊之の名で初舞台。同年8月市川左團次に入門、近松座巡業にて市川左十次郎を名のる。10月歌舞伎座にて名披露目。平成26年1月新橋演舞場『壽三升景清』の範頼家臣江田十郎などで四代目市川左升を名のり名題昇進。
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- 受賞歴等
▼1998年6月『日本振袖始』の大蛇の分身で歌舞伎座賞
▼ 2011年3月『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』の非人胡麻八で国立劇場奨励賞、ほか。
▼ 2018年重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となる。
脚註
- ^ 歌舞伎俳優の市川左升氏死去 時事通信 2011年2月17日閲覧
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