工藤時光とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 工藤時光の意味・解説 

工藤時光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/27 14:24 UTC 版)

工藤 時光(くどう ときみつ)は、鎌倉時代後期の武士北条氏得宗家被官である御内人出家後、工藤二郎右衛門入道と称する[1](「南家伊東氏藤原姓大系図」[2]にも掲載あり)。奥州工藤氏の一族。




[ヘルプ]
  1. ^ a b 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』P.76「工藤杲禅」の項(執筆:末木より子)。
  2. ^ a b 宝永5年(1708年)成立。編者は日向飫肥藩伊東祐丕の家臣・山田宗武。飯田達夫「南家 伊東氏藤原姓大系図」(所収:『宮崎県地方史研究紀要』三輯、1977年)や『伊東市史 史料偏 古代・中世』(2006年)にも掲載。(以上は今野、2007年による。)
  3. ^ 今野慶信はこの時期について「出家はおそらく弘安7年(1284年)の北条時宗(道杲)の出家に伴うもの」(今野、2007年、P.114)と推測している。なおこの文言からすると、今野は「杲」の字が時宗の法号である「道杲」に由来することを想定しているものと考えられる。
  4. ^ a b 「若狭国守護職次第」、「若狭国今富名領主次第」。
  5. ^ 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』P.76「工藤杲禅」の項では「実名不詳」としていた。
  6. ^ 今野、2007年。細川、2011年、P.187。
  7. ^ 細川、2011年、P.187。
  8. ^ 弘安9年(1286年12月5日付 「北条貞時寄進状」(『相州文書所収 法華堂文書』、『鎌倉遺文』16066号)、正応4年(1291年8月20日付 「関東評定事書」(新編追加、『鎌倉遺文』17664号)。
  9. ^ 『多田神社文書』、『鎌倉遺文』第27巻・20726号。
  10. ^ 時光(杲禅)の花押については、『北条氏系譜人名辞典』P.76「工藤杲禅」の項 を参照のこと。
  11. ^ 小泉聖恵 「得宗家の支配構造(研究)」(『お茶の水史学』、1996年12月)脚注(38)。


「工藤時光」の続きの解説一覧


このページでは「ウィキペディア」から工藤時光を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から工藤時光を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から工藤時光を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「工藤時光」の関連用語

工藤時光のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



工藤時光のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの工藤時光 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS