嶧山刻石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 08:47 UTC 版)
紀元前219年の巡幸の際、鄒県(現在の山東省済寧市鄒城市)の嶧山(えきさん、「えき」は「澤」のへんを「山」に変えた字)に建てたもの。 七刻石の最初のもので、その知名度はかなり高く、そのために高官や皇帝などもたびたびこの碑の拓を求めるようになった。その結果、地元の官吏や農民が採拓にたびたび狩り出されて酷使されることとなり、耐えかねた村人が徒党を組んで碑を燃やしてしまう事態に見舞われる。原石はこの際に失われ、その後見かねた県令の手によって模刻され再建されたものの拓本が現在伝わるのみである。
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