島津家家臣としての伊集院氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 16:39 UTC 版)
「伊集院氏」の記事における「島津家家臣としての伊集院氏」の解説
煕久が亡命した後、弟の倍久は伊作家の島津忠良に従った。倍久の孫の忠朗より忠倉・忠棟の三代は代々島津家の家老として活躍する。忠棟は第16代当主・義久の筆頭家老となり各地を転戦した。島津家が豊臣秀吉に降伏すると、忠棟は秀吉に気に入られ日向都之城に8万石の大封を得ている。しかし、その行動に不満を覚えた島津忠恒(島津義弘の子)によって誅殺された。忠棟の子の忠真は父の死を知り所領の日向都城で反乱を起こすが(庄内の乱)、和解した後に一族ともども忠恒に殺害された。 忠朗 忠倉 忠棟 忠真
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