島欽一とは? わかりやすく解説

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島欽一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 14:59 UTC 版)

島 欽一(しま きんいち、1877年明治10年)10月28日 - 1941年昭和16年)10月28日)は、日本の実業家グラフィックデザイナー。日本初の図案社とされる島丹誠堂図案社の創業者[1]

人物

三代続く画人の家系に生まれたが、本格的な美術を捨て広告図案という商業美術の分野に専念し、当時珍しかった「石埭流」の文字を扱い、戦前における多くの新聞広告や図案を考案した。

石埭流は書家・永坂石埭(1845年 - 1924年)の書体だが、欽一が使用した書体はそれに創意工夫を加えたものだった[2][3]

欽一は、1934年いすゞ自動車の初代社章(通称、さざなみマーク)を考案したことでも知られる。社章を考案した当初は自動車工業(いすゞ自動車の前身)の車の商標を制作したに過ぎなかったが、1949年にいすゞ自動車が設立された際に初代社章として採用された。

「いすゞ」の書体が石埭流であるなど、一説に「いすゞ」の名称も欽一が考案したとも言われる[4][5][6]

経歴

脚注

  1. ^ 島州一 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所. 2025年2月13日閲覧。
  2. ^ 「ソニー通りと図案の島丹誠堂」『遠ざかる大正 私の銀座』瀬田兼丸、1986 年10 月10 日、163,290頁。 
  3. ^ 『綜合ヂャーナリズム講座X』橘 篤郎、昭和6年7月20日、309頁。 
  4. ^ 『有名企業社名とマークの秘密』本間 之英、2008年4月22日、127頁。 
  5. ^ 『週刊新潮(平成5年4月15 日号)』新潮社、平成5年4月15 日、118頁。「石川島播磨重工業が自動車業界に進出する時に、「いすゞ」の名と図案を考案したのもこの欽一翁。」 
  6. ^ 「いすゞ」誕生の背景と社名のナゾ”. いすゞ自動車株式会社. 2021年9月22日閲覧。 “「なぜ東京のクルマが伊勢の五十鈴川にちなんだの?」という疑問。これについては記録がなく、いまだ謎に包まれたまま…。”
  7. ^ 『近世飯田町教育史』飯田刊行協会、昭和33年2 月1日、69-70頁。 
  8. ^ 『長野県勢総覧 下巻』長野県勢総覧刊行会、昭和3年11月3日、840頁。 
  9. ^ 「腕一本で広告図案界に新天地を劃した島欽一君」『實業之日本 第34 巻 第16 号』實業之日本社、1931年8月15日、29頁。 



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