塩路嘉一郎
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塩路 嘉一郎(しおじ かいちろう、生没年不詳[1])は、幕末期の紀州藩士として藩政改革の首脳、紀州藩戊営副都督を務めた。明治2年の紀州藩廃藩後は明治政府に仕え、兵部省、元老院に出仕した官吏である。幕末には一時、崖家(岸家)の養子となり、崖(岸) 嘉一郎(きしかいちろう)を名乗る。更に明治以後は、岸 嘉一郎と表記した。
- ^ 和歌山県立文書館所蔵県立図書館移管資料 1004
- ^ 『福沢諭吉書簡集〈第1巻〉安政四(一八五七)年‐明治九(一八七六)年』 岩波書店、2001年、ISBN 978-4000924214
- ^ 「塩路嘉一郎」項、『幕末維新第人名事典【上】』新人物往来社、2010年
- ^ 山田千秋 『日本軍制の起源とドイツ - カール・ケッペンと徴兵制および普仏戦争』 原書房、1996年。p103,p117
- ^ 山田千秋 『日本軍制の起源とドイツ - カール・ケッペンと徴兵制および普仏戦争』 原書房、1996年。p105
- ^ 「塩路嘉一郎」項、『幕末維新第人名事典【上】』新人物往来社、2010年
- ^ 萩原延壽 『陸奥宗光 上巻 萩原延壽集2』 朝日新聞社、2007年。p156
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