岩田豊麿とは? わかりやすく解説

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岩田豊麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/06 03:13 UTC 版)

岩田 豊麿(いわた とよまろ、1877年[注釈 1] - 1951年[1])は明治時代から大正時代にかけての日本画家。号は秋斎[2]。子は古地図研究家の岩田豊樹[1]。妻は江戸川乱歩の叔母(母の妹)[3]

略歴

尾形月耕及び小堀鞆音の門人。1877年、三重県安濃郡安東村(現・津市)の西川家に生まれ[4][5]、元津藩士の岩田家の養子となる[5]。1911年頃の牛込時代の月耕に学ぶ。主に日本絵画協会日本美術院連合絵画共進会、文展帝展などにおいて作品を発表している。1923年11月上旬に飯田に滞在、11月7日に常磐町の仙寿楼において豊麿の画会が開催されている。この会の会員数は60名で、「東京の特殊学校復興の為の資金調達」がその目的であったと記されている。

作品

  • 「渡河布袋図」 絹本着色
  • 「新緑観瀑図」 絹本着色
  • 「松下人物図」 絹本着色
  • 「二条城の桜」 絹本着色

脚注

注釈

  1. ^ 生年には1872年、1875年、1877年と諸説あり。『現代日本美術家全録』では1875年(明治8年)11月25日生まれ。

出典

  1. ^ a b 岩田豊樹文庫設立記念展”. 明治大学図書館 (2014年11月20日). 2025年1月6日閲覧。
  2. ^ 木沢孚 編『現代日本美術家全録』画報社、1914年、い8頁
  3. ^ 『江戸川乱歩推理文庫 53 (探偵小説四十年 1)』講談社、1987年、p.179。
  4. ^ 『「南信」新聞美術記事年表(明治・大正編)』264頁。
  5. ^ a b 鯉江長明『聖地三重の偉材と之を嗣ぐ者 : 附・県下著名会社商店業勢俯瞰』三重県編纂協会、1937年、p.83。

参考文献

  • 木沢孚 編『現代日本美術家全録』(画報社、1914年)い8頁
  • 『Bien Vol.45 特集尾形月耕とその一門』 藝術出版社、2007年 ※30頁
  • 飯田市美術博物館編 『「南信」新聞美術記事年表(明治・大正編)』 飯田市美術博物館、2011年



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