岩堰用水路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 05:55 UTC 版)
政景が知行地として与えられた比井野村(現在の能代市二ツ井町)は、至近を流れる米代川に対し高台にあるため水利が悪く、江戸時代の初めは戸数も15~16戸の寒村であった。そこで政景は隣の藤琴村矢坂の藤琴川から延々用水路を引き、新田を拓いた。用水路が容易につくれない山岳部は、岩をくりぬきトンネルを掘って繋いだ。これが岩堰用水路であり、明治期に改修を受けた上で現在も使われている。新田ができたため比井野村は人口が増え石数も飛躍的に伸びた。政景は大明神として岩関神社に祀られ、現在でも盛大な祭りが行われている。
※この「岩堰用水路」の解説は、「梅津政景」の解説の一部です。
「岩堰用水路」を含む「梅津政景」の記事については、「梅津政景」の概要を参照ください。
- 岩堰用水路のページへのリンク