岐阜県立高田高等学校とは? わかりやすく解説

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岐阜県立高田高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 21:58 UTC 版)

岐阜県立高田高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岐阜県
設立年月日 1948年
閉校年月日 1963年
共学・別学 男女共学
課程 定時制
設置学科 被服科
所在地 503-1316
岐阜県養老郡養老町押越17-6
ウィキポータル 教育
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岐阜県立高田高等学校(ぎふけんりつたかだこうとうがっこう)とは、かつて岐阜県養老郡養老町にあった公立定時制高等学校

概要

  • 元は養老郡中部青年学校の生徒のために設置された高等学校である。
  • 男女共学の定時制高等学校であったが、廃校時は被服科のみであり、実質女子高であった。
  • 1963年廃校。校地校舎は新設の岐阜県立養老女子商業高等学校[注釈 1][注釈 2]に引き継がれ、在校生も引き継がれた。

沿革

  • 1948年(昭和23年)
    • 4月11日 - 養老郡高田町外十三カ町村[注釈 3]組合立として、定時制の高田女子高等学校として開校。養老郡高田町大字高田田代331の旧・養老郡中部青年学校の校舎を使用する。
    • 9月1日 - 文部省の認可を受ける。被服科を設置。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 養老郡高田町外十三カ町村組合立高田高等学校に改称する。定時制普通科を設置。
  • 1950年(昭和25年)
    • 6月11日 - 高田町大字押越30-5に新校舎が完成。
    • 7月1日 - 新校舎に移転。
  • 1953年(昭和28年)4月15日 - 校舎を増築。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 岐阜県に移管。岐阜県立高田高等学校に改称する。定時制被服科別科を設置。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 普通科、被服科別科を廃止。
  • 1963年(昭和38年)
    • 2月21日 - 募集を停止。
    • 3月31日 - 廃校。校地校舎は新設の岐阜県立養老女子商業学校に転用され、被服科の在校生は岐阜県立養老女子商業高等学校へ引き継がれる。

脚注 

注釈 

  1. ^ 岐阜県立大垣養老高等学校のHPでは、養老女子商業高等学校は高田高等学校(高田女子高等学校)として開校となっているが、養老町史では「1968年に養老女子商業は創立5周年記念事業を祝う」という記述があり、養老女子商業は1963年に新設となる。
  2. ^ 岐阜新聞2021年10月9日記事「岐阜県立大垣養老高等学校創立100周年」では、「昭和38年養老女子商業高が誕生」「昭和59年学校創立35周年、養老女子商業高等学校20周年記念式典」の記述があり、養老女子商業高等学校の創立年は高田女子高等学校の創立年となる。尚、この記事では、「(高田高等学校が)養老女子商業高等学校に改称し、高田高等学校定時制の募集停止」ともある。
  3. ^ 高田町以外の13村は、下多度村小畑村日吉村多良村一之瀬村養老村広幡村上多度村笠郷村牧田村多芸村池辺村時村

出典

参考文献

  • 養老町史 通史編 下 (養老町 1978年) P.153 - 160

関連項目




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