岐阜県立斐太実業高等学校朝日分校とは? わかりやすく解説

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岐阜県立斐太実業高等学校朝日分校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 04:12 UTC 版)

岐阜県立斐太実業高等学校朝日分校
国公私立の別 公立学校
設置者 朝日村
設立年月日 1948年
閉校年月日 1971年
共学・別学 男女共学
課程 定時制
設置学科 普通科
所在地 509-3213
岐阜県大野郡久々野町渚748[注釈 1]
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岐阜県立斐太実業高等学校朝日分校(ぎふけんりつひだじつぎょうこうとうがっこうあさひぶんこう)は、かつて岐阜県大野郡久々野町(現・高山市)にあった公立高等学校分校

概要

沿革

  • 1948年(昭和23年)
  • 1949年(昭和24年)
    • 9月12日 - 認可を受ける。
    • 9月19日 - 開校式を行う。
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月25日 - 秋神中学校に秋神教室を設置。
    • 10月2日 - 朝日小学校の講堂を校舎とする。
  • 1953年(昭和28年)6月30日 - 農業科、被服科を廃止。普通科を設置。
  • 1955年(昭和30年)11月 - 独立校舎が朝日小学校の隣接地に完成。秋神教室を廃止。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 高山地区の高校再編により、岐阜県立斐太実業高等学校が開校。朝日分校は高山高等学校から斐太実業高等学校に移管され、岐阜県立斐太実業高等学校朝日分校に改称する。
  • 1965年(昭和40年)11月21日 - 火災のため校舎を全焼する。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 久々野町の旧・渚小学校の校舎を朝日分校渚教室とし、授業を再開。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 廃校。廃校時の生徒数は44名。

脚注 

注釈 

  1. ^ 校舎が火災のため、久々野町の廃校舎で朝日分校渚分教室として再開。朝日分校渚分教室が最終所在地となっている。

出典

  1. ^ 岐阜県の高等学校の定時制分校は、通称「岐阜県方式」という制度により、分校のある市町村や学校組合が設置者となり、運営と費用負担を行った。指導と教職員の派遣は岐阜県が行った。(和良村史P.930)。
  2. ^ 久々野町史 第四巻 現代 (久々野町史刊行委員会編 2010年) P.220 - 221
  3. ^ 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年) P.125

参考文献

  • 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年) P.125
  • 久々野町史 第四巻 現代 (久々野町史刊行委員会編 2010年) P.220 - 221
  • 朝日村誌 (朝日村誌編纂委員会編 1956年) P.337 - 340
  • 朝日村史 第4巻 現代 (朝日村史編纂委員会編 2005年) P.698 - 726

関連項目




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