岐阜県立揖斐高等学校南部分校とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 岐阜県立揖斐高等学校南部分校の意味・解説 

岐阜県立揖斐高等学校南部分校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 21:54 UTC 版)

岐阜県立揖斐高等学校南部分校
国公私立の別 公立学校
設置者 揖斐郡学校組合
設立年月日 1948年
閉校年月日 1951年
課程 定時制
設置学科 家庭科
所在地 503-2425
岐阜県揖斐郡池田村大字六之井[注釈 1]
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

岐阜県立揖斐高等学校南部分校(ぎふけんりついびこうとうがっこう なんぶぶんこう)は、かつて岐阜県揖斐郡池田村(現・池田町)にあった公立高等学校分校

概要

  • 揖斐高等学校の定時制の分校であった。1949年時点の生徒数は家庭科55名。
  • 1948年、岐阜県立揖斐農林学校が岐阜県立揖斐農林高等学校に改称、学区制実施に伴い総合制高等学校に改組されたさい、旧・揖斐郡南部青年学校の生徒のために設置された。岐阜県立の高等学校の分校であったが、揖斐郡粕川以南の地域の本郷村池田村八幡村宮地村養基村による揖斐郡学校組合が設置者となり、運営されていた[注釈 2]。設置者の揖斐郡学校組合が負担金を出さなくなったことにより廃校[1]
  • 校舎は旧・南部青年学校の校舎を使用していた。廃校後は当時隣接していた揖斐郡学校組合立揖南中学校(現・池田中学校)の校舎に転用された。2021年現在、跡地は池田町役場の敷地となっている[注釈 3]

沿革

  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 岐阜県立揖斐農林高等学校南部分校として開校。夜間定時制の家庭科を設置。校舎は旧・揖斐郡南部青年学校の校舎を使用する。
    • 4月15日 - 仮入学式を行う。南部分校の生徒は女子のみであり、男子は本校に通学する。
    • 7月4日 - 授業を開始。
    • 11月24日 - 設置が認可される。男女共学となる。
    • 8月23日 - 岐阜県立揖斐高等学校南部分校に改称する。
  • 1952年(昭和27年)3月31日 - 廃校。廃校時の生徒数は46名。

脚注 

注釈 

  1. ^ 現・岐阜県揖斐郡池田町六之井。
  2. ^ 岐阜県の高等学校の定時制分校は、通称「岐阜県方式」という制度により、分校のある市町村や学校組合が設置者となり、運営と費用負担を行った。指導と教職員の派遣は岐阜県が行った。
  3. ^ 池田中学校は1978年に現在地(池田町草深)に移転。

出典

  1. ^ 創立50周年誌 岐阜県立揖斐高等学校 P.24。

参考文献

  • 創立50周年誌 岐阜県立揖斐高等学校 (岐阜県立揖斐高等学校 1969年)
  • 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年)

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岐阜県立揖斐高等学校南部分校」の関連用語

岐阜県立揖斐高等学校南部分校のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岐阜県立揖斐高等学校南部分校のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの岐阜県立揖斐高等学校南部分校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS