山本浩章とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 山本浩章の意味・解説 

山本浩章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/12 23:23 UTC 版)

山本 浩章
やまもと ひろあき
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1969-05-13) 1969年5月13日(55歳)
出生地 日本 滋賀県甲良町
出身校 東京大学法学部第1類
前職 益田市議会議員
所属政党 無所属
公式サイト 山本浩章 公式webサイト

当選回数 4回
在任期間 2012年8月2日 - 現職

益田市議会議員
当選回数 1回
在任期間 2011年9月9日 - 2012年3月30日
テンプレートを表示

山本 浩章(やまもと ひろあき、1969年昭和44年〉5月13日[1] - )は、日本政治家実業家島根県益田市長(4期)。元・益田市議会議員(1期)。

来歴

滋賀県甲良町出身。甲良町立甲良東小学校、甲良町立甲良中学校、滋賀県立彦根東高等学校卒業。1988年(昭和63年)4月、東京大学教養学部文科一類入学。1992年(平成4年)3月、東京大学法学部第1類卒業[2]

大学卒業後は、実家の家業である米穀商に従事しながら、司法試験への挑戦を継続していたが、1998年(平成10年)4月、妻の親族企業である株式会社ひょうま(旧名:兵間仏閣堂)に入社。2010年(平成22年)12月、同社の代表取締役社長に就任。この間、2008年(平成20年)1月、益田青年会議所理事長、2009年(平成21年)1月、日本青年会議所中国地区島根ブロック協議会会長を歴任。

2011年(平成23年)8月28日に行われた益田市議会議員選挙に出馬し初当選。9月9日、市議に就任[3]

2012年(平成24年)3月30日、在職わずか7ヶ月で市議を辞職。同年7月29日に行われた益田市長選挙に自由民主党県議の支援に加え、連合島根や市農政会議の推薦を受けて出馬。『人口拡大』を掲げ、現職の福原慎太郎との接戦を制し初当選した(山本:14,645票、福原:13,494票)。投票率は68.89%[4][5]。8月2日、市長に就任[3]

2014年(平成26年)2月、日本創成会議による『地方消滅』論や地方創生に先んじて、『益田市人口拡大計画』を策定。

2016年(平成28年)7月24日の益田市長選挙では、「市政の継続と安定」をスローガンに掲げる一方、萩・石見空港東京便の1日2便運航復活などの実績を強調して幅広い支持を集め、「益田を一つに」をキャッチフレーズとした福原慎太郎との再度の一騎討ちを制し、再選を果たした。(山本:17,447票、福原:10,086票)。投票率は68.56%[6][7][8]

2020年(令和2年)7月20日の同選挙で、元市議の久城恵治らを破り3選。2024年(令和6年)、無投票で4選[9]

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山本浩章」の関連用語

山本浩章のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山本浩章のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山本浩章 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS