山岡次郎とは? わかりやすく解説

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山岡次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 08:37 UTC 版)

山岡 次郎(やまおか じろう、1850年10月20日嘉永3年9月15日) - 1905年(明治38年)2月21日[1]は、日本の化学者、技官。越前福井藩士の家に生まれ、1865年(慶応元年)より長崎で英学修行、1871年(明治4年)福井藩推薦留学生として米国に派遣され、プリンストン大学[2]コロンビア大学等に学び、鉱山学や化学を修める。1875年(明治8年)帰国し直ちに文部省督学局に採用。東京開成学校、次いで東京大学で化学を教える。1881年(明治14年)4月に農商務省発足に伴い農商務省御用掛を兼務し、染色織物の指導に従事、この分野で事績を残し、「染織界の一元勲」と評された[3]




  1. ^ 『桐生織物史』桐生織物同業組合 1938年(昭和13年)12月 509頁、『海を越えた日本人名辞典』日外アソシエーツ 1985年(昭和60年)12月 599頁、その他各種人名辞典参照
  2. ^ https://findingaids.princeton.edu/collections/AC104.02/c6353
  3. ^ 『染織時報』221号、1905年(明治38年)3月号 10頁
  4. ^ 東京工業大学編『東京工業大学百年史(通史)』 1985年(昭和60年)5月 41-43頁
  5. ^ 田村均『ファッションの社会経済史―在来織物業の技術革新と流行市場―』第3章「在来織物業の技術革新と化学染料」2004年
  6. ^ 農商務省農務局、工務局 『繭糸織物陶漆器共進会審査報告』有隣堂 1885年(明治18年)-1886年(明治19年)、大日本織物協会『染織五十年史』 1935年(昭和10年)6月その他参照
  7. ^ 福井繊維情報社『福井羽二重の生まれるまで』福井県輸出絹織物工業協同組合、1982年
  8. ^ 亀田光三『桐生織物と森山芳平』みやま文庫164、2001年
  9. ^ 柳沢芙美子「山岡次郎研究ノート(1)―織物産地を繋いだ染色技術者―」『福井県文書館研究紀要』2、2005年
  10. ^ 奥山秀範「ふくい歴史回廊~織物王国福井の原点」『福井新聞』2016年1月22日号 17面
  11. ^ 奥山秀範「戦前期における福井県企業の海外市場アプローチ」『ふくい地域経済研究』第7号 福井県立大学 2008年8月 60-61頁
  12. ^ 『官報』1899年(明治32年)12月14日
  13. ^ 『官報』第6265号「叙任及辞令」1904年5月21日。
  14. ^ 『海を越えた日本人名辞典』前掲 599頁
  15. ^ 『官報』1905年(明治38年)2月23日
  16. ^ 『官報』第5175号「叙任及辞令」1900年9月29日。


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