山口正城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 山口正城の意味・解説 

山口正城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/03 01:27 UTC 版)

山口 正城(やまぐち まさき、1903年1月22日 - 1959年12月5日)とは、日本の画家グラフィックデザイナー、デザイン・図案に関する教育者。

千葉大学工学部工業意匠学科教授を務めた。フォトグラムを含め、抽象的な作品が多い。

経歴等

  • 北海道旭川市に生まれる。
  • 1926年、東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部工業意匠学科)卒業。
  • 同年、大阪市立工芸学校(現・大阪市立工芸高等学校)図案科教諭となる。
  • この間、バウハウス理論を研究した。
  • 1937年・自由美術家協会第1回展に入選、1939年・第3回展で協会賞、1940年・会友となり、1941年美術創作家協会に改称後会員となる、1959年退会(会友・会員となった年について、異なる年を記載している文献も存在する)。
  • 1939年、京都市立第二工業学校(現・京都市立伏見工業高等学校)玩具科主任教諭。
  • 戦中・戦後は、滋賀県琵琶航空工業株式会社技師や滋賀県高宮木工補導所長を務める。
  • 1948年、大阪市立工芸高等学校に復職。
  • 同年、東京工業専門学校教授。
  • 1949年、千葉大学工学部工業意匠学教室助教授。
  • 1952年、千葉大学工学部教授。
  • 1953年、日本アブストラクト・アート・クラブ設立[1](他のメンバーは、長谷川三郎山口長男吉原治良村井正誠末松正樹恩地孝四郎瀧口修造など)。
  • 1959年、日本抽象作家協会設立。死去。

主要な展覧会

参考文献

  • 上記山口正城作品展の展覧会カタログ(編集は、福岡市美術館の尾野正晴と後小路雅弘)
    • 作品図版46点の他、年譜、出品目録、展覧会リスト、参考文献リスト、尾野正晴による解説(「山口正城のLinearism」)が掲載されている。
  • 20世紀物故洋画家事典(岩瀬行雄・油井一人 編、美術年鑑社、1997年)310ページ
  • 美術家人名事典 古今・日本の物故作家3500人(日外アソシエーツ、2009年)610ページ

脚注

外部リンク



このページでは「ウィキペディア」から山口正城を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から山口正城を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から山口正城 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山口正城」の関連用語

山口正城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山口正城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山口正城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS