屋敷・寺院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:18 UTC 版)
御蔵屋敷跡 三の丸から連なる帯曲輪(釣井の壇と勢溜の壇の間)にあったとされる兵糧庫。近くには江戸時代初期に崩された石垣が現在も残っている。 御里屋敷伝承地 毛利元就の屋敷があったと伝わる(安芸高田少年自然の家「輝ら里」の敷地内)。ただし、1991年-1992年(平成3年-平成4年)の試掘調査では遺構などが見つからなかったことから、屋敷の所在地としては再検討されている。同所の敷地内には、毛利元就像と三矢の訓碑が建てられている。 満願寺 勢溜の壇の南東部にあった寺。毛利氏の郡山入部前からあったとされ、現在は境内跡に2つの蓮池跡などが残っている。 その他、城内には、毛利元就墓所、毛利隆元墓所、伝元就火葬場跡、毛利氏歴代墓所(毛利時親から毛利豊元迄合葬墓、毛利興元、毛利幸松丸、尾崎局)、嘯岳禅師墓、百万一心碑などがある。 三の丸の石垣跡 釣井の壇にある井戸跡 満願寺跡 大通院谷にある薬研堀跡 毛利元就墓所 百万一心の碑 三矢の訓碑
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