尹国とは? わかりやすく解説

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尹国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 08:24 UTC 版)

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慕容 尹国(ぼよう いんこく、生年不詳 - 398年)は、五胡十六国時代の人物。昌黎郡棘城県の出身。

生涯

前秦に仕え、将軍に任じられていた。

383年11月、前秦の冠軍将軍慕容垂は反乱を起こした丁零族の鎮圧と先祖の陵廟へ詣でると称し、に向かいたいと申し出た。前秦の天王苻堅はこれを容れ、慕容尹国・将軍李蛮・閔亮に3千の兵を与えて慕容垂につかせた。

後燕に仕え、安南将軍[1]に任じられた。

394年10月、皇帝慕容垂は慕容尹国と驃騎大将軍慕容農青州兗州の攻略を命じた[2]。慕容尹国は陽城を攻め、陥落させた。東晋東平郡太守韋簡を討ち取った。東晋の高平郡太守徐含遠は龍驤将軍劉牢之に救援を求めたが間に合わず、慕容尹国と慕容農は高平郡・泰山郡琅邪郡の諸郡を攻略した。

済陰公に封じられた。

395年11月、皇太子慕容宝北魏討伐に向かい、慕容尹国も従軍していた。参合陂で北魏軍の奇襲を受け、後燕軍は壊滅、魯陽王慕容倭奴・桂林王慕容道成・北地王慕容鍾の世子の慕容葵ら文武諸官数千人とともに捕らわれた。

北魏に仕え、右将軍に任じられた。

398年1月、冀州で租税取り立てを監督していた。魏王拓跋珪が北方に帰ると聞き、信都を襲撃しようと目論むが、安南将軍長孫嵩に捕らえられ殺害された。

脚注

  1. ^ 『十六国春秋』巻45 慕容垂では、鎮南将軍と記されている。
  2. ^ 『十六国春秋』巻45 慕容垂では、河南攻略を命じたと記されている。

参考文献




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