小野一柳家
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直盛の次男直家は播磨国(兵庫県)加東郡及び伊予宇摩郡・周布郡に2万8600石を領し、伊予国宇摩郡川之江に陣屋を置いた(川之江藩)。しかし直家の死後、直次への継承が末期養子とされ、寛永20年(1643年)に伊予国の領地が没収されて播磨国加東郡1万石となった。直次は小野(現在の兵庫県小野市)に小野陣屋を建設し、以後小野藩として幕末まで続いた。歴代藩主は対馬守や土佐守などに叙任された。 明治17年(1884年)一柳末徳が子爵となった。末徳の三女の満喜子はアメリカ出身の宣教師・建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズと結婚し、ヴォーリズは一柳米来留と改名した。
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