小川町立海東中学校とは? わかりやすく解説

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小川町立海東中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/09 11:18 UTC 版)

小川町立海東中学校
北緯32度35分02秒 東経130度44分42秒 / 北緯32.583806度 東経130.744917度 / 32.583806; 130.744917座標: 北緯32度35分02秒 東経130度44分42秒 / 北緯32.583806度 東経130.744917度 / 32.583806; 130.744917
過去の名称 海東村立海東中学校
小川町立益南中学校海東教室
国公私立の別 公立学校
設置者 海東村
設立年月日 1947年(昭和22年)4月
閉校年月日 1970年(昭和45年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 869-0612
熊本県下益城郡小川町南海東2049番地1
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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小川町立海東中学校(おがわちょうりつ かいとうちゅうがっこう)は、かつて熊本県下益城郡小川町(現・宇城市小川町)南海東にあった公立中学校

1970年昭和45年)3月末に閉校し「小川町立益南中学校」に統合。2年後の1972年(昭和47年)には「小川町立小川中学校」に統合された。

概要

歴史
1947年昭和22年)の学制改革により、新制中学校として創立。1970年(昭和45年)に統合のため閉校し、23年の歴史に幕を下ろした。
校訓・校章・校歌
通学区域
小学校区は小川町立海東小学校であった。

沿革

  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
  • 1958年(昭和33年)
    • 3月31日 - 益南村と海東村が小川町と合併。
    • 4月1日 - 統合により「小川町立益南中学校 海東教室」となる。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 益南中学校から分離の上「小川町立海東中学校」として独立(再設置)。
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 統合により「小川町立益南中学校 東教室」となる。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 小川町立小川中学校の統合校舎が完成し、移転を完了。東教室が廃止される。
閉校後
  • 海東保育園の敷地となっている。

交通アクセス

最寄りの幹線道路

周辺

  • 宇城市海東地区農村コミュニティ施設 ふれあいセンター
  • 海東保育園(小川町立海東中学校跡)
  • JA熊本うき 海東出張所
  • 塔福寺(公立弦巻小学校(後の海東東部尋常小学校)創立の地)
  • 砂川

脚注

参考文献

  • 海東村史編纂委員会編纂『海東村史』海東村役場、1952
  • 海東小学校創立百周年記念事業期成会『海東小学校創立百周年記念誌』海東小学校、1976
  • 小川町史編纂委員会編纂『小川町史』小川町役場(熊本県)、1979
  • 宇城退職校長会編『宇城の学校教育の歩み』宇城退職校長会、2007

関連項目




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