小川城_(西米良村)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小川城_(西米良村)の意味・解説 

小川城 (西米良村)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 05:04 UTC 版)

logo
小川城
宮崎県
別名 日向小川城、米良氏屋敷
城郭構造 居館
天守構造 なし
築城主 米良則重
築城年 承応年間(1652年1655年
主な城主 米良氏
廃城年 明治維新
遺構 曲輪石垣、隠居所
指定文化財 未指定
再建造物 石碑、隠居所跡に城郭風の「小川民俗資料館」あり
位置 北緯32度14分03.1秒 東経131度12分55.6秒 / 北緯32.234194度 東経131.215444度 / 32.234194; 131.215444座標: 北緯32度14分03.1秒 東経131度12分55.6秒 / 北緯32.234194度 東経131.215444度 / 32.234194; 131.215444
地図
日向小川城
テンプレートを表示

小川城(おがわじょう)は、宮崎県児湯郡西米良村明治以前は肥後国球磨郡)小川囲にあった江戸時代日本の城(居館)。肥後菊池氏の末裔を名乗る米良荘領主・米良氏の居城[1]

概要

一ツ瀬川の支流・小川川左岸の山際にある。江戸時代中期の承応年間(1652年1655年)に米良則重が築城し、幕末米良則忠の代まで約200年に渡って米良氏の居城となった。城の北西には引退した城主が居住する「隠居所」が造られ、石垣が残っている[1]城跡は、県内でも古い時期に造られた小川小学校・中学校の敷地となっていたが、1989年(平成元年)に廃校となり[1]、石碑のみが残る。

1990年(平成2年)に北西の隠居所跡が「小川城址公園」として整備され、城郭風建築の「小川民俗資料館(おがわ作小屋村)」などが建てられている[1]

脚注

  1. ^ a b c d 寺原重次 2003 pp.179-180 宮崎県公式HP

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小川城_(西米良村)」の関連用語

小川城_(西米良村)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小川城_(西米良村)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小川城 (西米良村) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS