寿性院
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寿性院(じゅしょういん、正字体:壽性院、? - 寛文元年3月6日(1661年4月5日))は、土佐藩主・山内忠義の側室。高知城三の丸に居住したことから通称三の丸様 とも呼ばれる[1]。
- ^ a b c d “『寿性院 山内忠義の側室』”. 南国土佐へ来てみいや. (2010年4月24日) 2019年11月15日閲覧。
- ^ 一部のインターネットサイトでは、寿性院の父の名を「園池宗朝」と記すものがあるが、これは、山内忠義の後妻(正室)である青岸院との混同で間違い。園池宗朝(1611-1661)は、江戸前期の公卿で、園池家の祖。櫛笥隆致の次男。権中納言・参議・治部卿、従二位。であり庶民ではない。東山天皇の妻の祖父が園池宗朝にあたり、現皇室もこの子孫にあたる。
- ^ a b c d “『板垣精神 : 明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2019年8月30日閲覧。
- ^ 『土佐藩家老物語』松岡司、高知新聞社、2001年
- ^ 『土佐藩ゆかりの会会報』(平成30年号)、2018年
- ^ 『卵塔物語』乾常美編(所収『南国史談』第22号)
- ^ 居合道無双直伝英信流第15世宗家・谷村亀之丞自雄
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