寧遠の戦い・ヌルハチの死(1626年)
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「明清交替」の記事における「寧遠の戦い・ヌルハチの死(1626年)」の解説
国・勢力指導者状況・目的後金 ヌルハチ 寧遠を攻撃。敗北 明 袁崇煥 寧遠城を指揮して後金から防衛。勝利 後金は寧遠の戦いで明に敗れた。明の袁崇煥将軍は寧遠城を防衛し、攻略に失敗したヌルハチは退却した。ヌルハチは25歳から連戦連勝だったが、寧遠城だけを降せずにうらみをのんで帰ったと『太祖実録』に記されている。ヌルハチは同年8月に死亡し、寧遠の戦いの負傷が死因になったという説もある。ヌルハチは生前に後継者を指名しなかったため、国政の最高機関である4人のベイレ(貝勒)は、ヌルハチの第8子ホンタイジを後継者に決定した。後金は明と平和交渉を行い、後金の敗北に対する明の積極的な対応を遅らせ、袁崇煥は国境の要塞化とマスケット銃兵(鳥銃兵)の訓練に忙殺された。ヌルハチの跡を継いだホンタイジは、ハンとしての立場を強固にする勝利を熱望していたが、袁崇煥はホンタイジからも寧遠城と錦州城を守った。
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