寄口 (古代の戸籍)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/02 15:16 UTC 版)
寄口(きこう、よせく、よりく[1]、よりこう[2][3])は、飛鳥時代から奈良時代を経て平安時代まで続いた律令制の中で整備された戸籍や計帳において、戸の筆頭者である戸主との関係性を示した表現のひとつ[1]。寄人(きにん[2]、よりゅうど[1])、寄とも記され、さらに何も記されずに続柄に空白が残される場合もあった[4]。戸主の直系親族、傍系親族のいずれでもなく、また奴婢でもなく、戸主との続柄が明示されないながら、戸籍に入れられた者を指す[2]。個人として寄口と記された者もいれば、家族を成していたと思しき数名がまとめて寄口として扱われていることもあり[2][4]、妾が含まれる例もあった[5]。また、寄口とされる家族の筆頭者を指して寄人とする用語法もある[6]。
寄口の社会的な位置付けについては、諸説があり、戸主とは姓が異なる「異姓寄口」の存在に注目して、奴婢とは別の、ある種の奴隷制に準じる制度であったと考える立場もあれば、戸籍編成上の擬制的性格のものと考えて、そのような見方を否定する立場もあり[4][7]、さらには、父系中心の続柄の記載では表現しきれない女系親族であり,戸主に準じた立場であったとする見方などもあって、見解が分かれている[5][8]。
脚注
- ^ a b c 「寄口」『デジタル大辞泉』小学館。コトバンクより2025年10月23日閲覧。
- ^ a b c d 「寄口」『精選版 日本国語大辞典』小学館。コトバンクより2025年10月23日閲覧。
- ^ 「寄口」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ブリタニカ・ジャパン。コトバンクより2025年11月2日閲覧。
- ^ a b c 「寄口」『改訂新版 世界大百科事典』平凡社。コトバンクより2025年10月23日閲覧。 - 執筆:福岡猛志
- ^ a b 「寄口」『山川 日本史小辞典 改訂新版』山川出版社。コトバンクより2025年11月2日閲覧。
- ^ 田中,2022,p.357
- ^ 「寄口」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。コトバンクより2025年11月2日閲覧。 - 執筆:平田耿二
- ^ 田中,2022,pp.357-382
参考文献
- 田中禎昭「古代戸籍のなかの母子:大宝二年半布里戸籍にみる戸の編成と家族」『国立歴史民俗博物館研究報告』第235号、国立歴史民俗博物館、2022年9月30日、353-386頁、CRID 1390586499659615488。
関連項目
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