宮長雅人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 07:22 UTC 版)
みやなが まさと
宮長 雅人
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生誕 | 1954年9月12日(70歳)![]() |
国籍 | ![]() |
出身校 | 早稲田大学法学部 |
職業 | 銀行家・実業家 |
肩書き | 第9代中国銀行頭取・会長 ちゅうぎんFG初代会長 |
宮長 雅人(みやなが まさと、1954年(昭和29年)9月12日[1] - )は、日本の銀行家であり、実業家である[2]。岡山市に本店を置く中国銀行の第9代頭取を務めた。現職としてちゅうぎんフィナンシャルグループ会長を務める。岡山県新見市出身[3]。
経歴
生い立ち
1954年(昭和29年)岡山県新見市高尾の宮長家に出生する[4]。その後、地元の高校を経て、早稲田大学法学部へ進学する[2]。1977年(昭和52年)3月、同大学を卒業する[2]。
銀行家として
早大卒業後、すぐに中国銀行へ入行する[5]。入行後、キャリアを積み1999年(平成11年)6月、44歳のとき田ノ口支店長となる[5]。その後、2003年(平成15年)6月に福山支店長を経て、2005年(平成17年)6月、50歳で取締役融資部長となる。2007年(平成19年)6月には、常務取締役となり、2011年(平成23年)6月、56歳で永島旭の後を継ぎ取締役頭取へ就任する[5][2]。
中銀のトップとなった宮長は、在任中に会社の改革を行っている。その一つに、2017年4月、10年の長期経営計画「Vision2027」を発表し、10年後の2027年度(令和9年)までに銀行の事務作業量を2016年度比で4割削減する方針とした[6]。タブレット端末の導入やペーパーレス化で業務効率化を推進する。それにより、余った人手でより高付加価値の営業やコンサルティング業務、新事業担当などに振り向け、より地域に根ざした活動を行うと発表した[6][7]。
2019年(令和元年)6月、64歳で同行の会長職へ就任し、頭取を退任する。頭取後任は、加藤貞則が就任した[5]。この後、宮長は、ちゅうぎんフィナンシャルグループの設立を目指し、2022年(令和4年)9月15日、金融庁が設立認可する[8]。10月3日に持株会社(単独株式移転による完全親会社)として設立し、宮長が初代会長として就任する[9]。
この他にも、宮長は、2011年に岡山経済同友会へ入会し[3]、2018から2023年まで代表幹事を務め[3]、岡山商科大学・社会総合研究所後援会の理事を2014年から現在まで務めている[10]。
脚注
- ^ “8382 中国銀行 | 役員の状況 - 宮長雅人”. irbank.net. 2025年7月24日閲覧。
- ^ a b c d 日外アソシエーツ現代人物情報『宮長雅人』
- ^ a b c “「ふるさとの光」発見プロジェクト in 岡山 -岡山県新見市-”. c.sanyonews.jp. 山陽新聞社. 2025年7月24日閲覧。
- ^ “宮長雅人中国銀行常務の母、宮長和子さんが死去”. 日本経済新聞 (2011年3月10日). 2025年7月24日閲覧。
- ^ a b c d “ちゅうぎんフィナンシャルグループ役員『宮長雅人』”. www.ullet.com. Ullet(ユーレット). 2025年7月24日閲覧。
- ^ a b “中国銀・宮長頭取に聞く「事務作業、10年で4割減」”. 日本経済新聞 (2018年3月23日). 2025年7月24日閲覧。
- ^ SHIMBUN,LTD, NIKKAN KOGYO. “地銀新時代トップに聞く(8)中国銀行頭取・宮長雅人氏”. 日刊工業新聞電子版. 2025年7月24日閲覧。
- ^ “銀行持株会社の設立認可について(株式会社ちゅうぎんフィナンシャルグループ)”. www.fsa.go.jp. 2025年7月24日閲覧。
- ^ 「株式会社ちゅうぎんフィナンシャルグループ」の設立およびグループ内組織再編のお知らせ, 株式会社ちゅうぎんフィナンシャルグループ
- ^ 商大レビューvol.31 48頁, 2022年『岡山商科大学社会総合研究所後援会』
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